伝統音楽の起源

「邦楽」とは、文字通り「本邦(わが国という意味)の音楽」という意味です。音楽辞典の大半に記載されている定義によりますと、邦楽とは、広義では日本の伝統音楽のことで、宮廷音楽を指す「雅楽」や、仏教音楽や民謡などからなる「声明」を含みます。

一方、邦楽には通常アイヌや沖縄の音楽は含まれません。現在の日本では、他国や他文化の音楽に触れることは日常茶飯事ですが、邦楽はそのほんの一部に過ぎないのです。

日本の音楽が最初に損なわれるようになったのは、明治時代(1868~1912)、文明開化を目指した日本が西洋音楽を輸入し始めてからのことです。その後、太平洋戦争で日本が敗戦し、アメリカ文化が日本市場を開拓するようになると、その傾向はさらに強くなりました。

日本の音楽教育は、明治時代以降は西洋のクラシック音楽が中心となって行われてきました。義太夫や浪曲の重い声や太い声は不快だとされ、ベルカント唱法だけが「本物の」音楽として教えられたのです。そうした考え方がはびこった結果、一般市民の暮らしから邦楽が消え去っていってしまったのです。

ビートルズ世代の多くの人が生涯に一度や二度はギターを弾いたことはあっても、三味線を弾いてみたことがある、という人は非常に少ないのです。同じように、ピアノを習っている若者は多いですが、琴を習っている若者はあまりいません。日本で邦楽というと、お正月にテレビやデパートで流れるBGMと結びついて考えられることが少なくありません。

ただその一方で、邦楽は一時的に復活を遂げたことがあります。第二次世界大戦後、邦楽と西洋クラシック音楽を融合させた「現代邦楽」という新しい形の音楽が生まれました。このジャンルは、1964年頃に復活を遂げます。まず武満徹が、横山勝也の尺八と鶴田錦史の琵琶にクラシックのオーケストラを組み合わせ、「ノヴェンバー・ステップス」という曲を作曲しました。

次に、尺八の名手である山本邦山が、アルバム『銀界』で尺八をもってジャズに挑戦しました。この2つの出来事によって、東西の垣根を越えた音楽の新時代が開かれ、新世代のリスナーの心を魅了しました。40代、50代の邦楽家の多くは、このような現代邦楽への新しい風潮に突き動かされたようにキャリアを選択していきました。

最後に、海外でもすっかり有名になった和太鼓についてご紹介します。幅広い年齢層が演奏でき、技術も習得しやすいことが和太鼓の人気の理由です。地域によっては、自治体が中心となって和太鼓を復活させようとしているところもあります。こうした努力もあり、今ではプロ・アマ問わず正確な数が把握できないほど数多くの和太鼓集団が結成されています。